これは、私がまだ障害者になる前の出来事です。
ハワイへ旅行に行った際、アクティビティでスキューバダイビングに挑戦した時の話を、ふと思い出しました。今考えると、あの体験には人生に通じる大切な学びがたくさん詰まっていたように思えます。
当時の流れは、こんな感じでした。
1. 砂浜で装備の指導: 酸素ボンベを背負い、さらに腰に約20kg相当の錘(おもり)のような重い帯を巻き付けられます。
2. 浅瀬の浮き輪へ移動: ボンベと錘を合わせるとかなりの重量。その重たい装備を身につけ、海の中にある「浮き輪」が浮いている目印の場所までジャブジャブと歩かされました。
腰より低い浅瀬に浮き輪があり、「まずはこれに捕まって浮く練習をしましょう!」と、インストラクターの明るい声。私が浮き輪に捕まると同時に、沖の方にいたボートが合図とともに走り出しました。
それと同時に浮き輪も引っぱられて動き出し、私は振り落とされないように必死でしがみつきます。
そして、かなり岸から離れた沖合いでボートが止まりました。
表面の海水は温かいのに、足の先は冷たい海水が漂っている……沖の海独特の「上が温かくて下は冷たい」あの不思議な感覚を感じながら、浮き輪にしがみついて浮かんでいました。
そこへ、ボートから男前なハワイアン・インストラクターのお兄さんが泳いで近づいてきます。
Wait! 彼はボンベからつながるチューブを指さしながら、爽やかな笑顔で一言。
「これ、口から間違えて外したら死んじゃうから気をつけてね〜!」
これから危険と隣り合わせの海に潜るというのに、「死」を連想させる洒落にならない冗談を笑顔で言ってくるあたり、「さすが気楽なハワイアンだな……笑」と呆気にとられて彼を見ていました。
すると次の瞬間、彼が急に叫びます。
「さあ、潜って!」
「はあ!? 急にかよ!」と思いましたが、彼はこちらの動揺などお構いなしに、「3, 2, 1, Go!!」とカウントダウンを始めました。
私の方はというと、「20kgもの重りを背負っているから、この浮き輪から手を離したら一気に海の底へ沈んで浮いて来られなくなる!」と思い込んでいます。
「やめろー!」と叫びながら、浮き輪から手を離すまいと必死でもがいて抵抗しました。自分からダイビングをやりに来たクセに、いざとなったら全力で抵抗する……今考えると、めちゃくちゃおかしな客です(笑)。
そんな私のアタタタな抵抗を見ながら、インストラクターのお兄さんは笑顔で、
「OK! Go!!」
と叫び、容赦なく浮き輪をひっくり返しました。
(綺麗な英語の発音と、あの最高の笑顔には、今思い出しても少しイラッとします笑)
浮き輪から無理やり放たれた私は、口元のチューブを手で必死に押さえつけながら、ただただ海の底へと沈んでいきました。
水深は15メートルほど。
ようやく海底に着き、両足でしっかり立った時、少しだけ心が落ち着きました。
「あれ……? なんか大丈夫そうだな……」
そう思って、肩から手を離して泳ぐように体を動かしてみると、驚くほど自由自在に水中を動けることが分かったのです。そこはまるで、重力から解放された「無重力空間」でした。
海底は思いのほか水の動き(うねり)があり、一箇所にとどまることの方がある意味難しく、ぼんやりしていると勝手に体が浮いてしまい、すぐに波に持っていかれそうになります。
その時、初めて気づいたのです。
「あ、この20kgの重り(錘)がないと、逆に海底で自由になれないんだ」と。
海に潜る前は、「重い=沈んで浮かんで来られなくなる危険なもの」という強い恐怖の思い込みがありました。しかし、いざ潜って慣れてみると、その重りこそが「海の中で自由に動くために絶対に必要な存在」へと、発想がガラリと転換されたのです。
人間、あまりにも「強い思い込み」を持ちすぎていると、自分自身を不自由にしてしまうのかもしれません。
一見すると「重荷」や「制約」に思えるようなものでも、見方や環境が変われば、自分を安定させて自由に動かすための「大切な重り」に化けることがあります。
勝手な思い込みで勝手に怯えて、浮き輪にしがみついてもがいていたあの頃の自分を振り返りながら、ふとそんなことを考えました。
〇〇だからダメだとか思ってること以外と思い込みが知れませんよ。
例えば病気だから人生詰んだとか、
思い込みの外側に意外な答えあると思います。
自分自身を縛り付けている「思い込み」や固定観念を外してみると、恐怖だと思っていたものが一転して自由へと変わっていきます。お金や暮らしに対する不安を手放し、心と暮らしを軽やかにするための「お金を減らさない」本質的な考え方については、こちらの記事で詳しくまとめています。
