最近、あるきっかけから「幸せ」というものについて、深く考える時間がありました。
それは、「自分が思う幸せと、他人が思う幸せは、少し違うのかもしれない」ということです。
例えば、飢餓で苦しんでいる子どもたちに寄付をしようという話。
「これを食べなさい」とこちらが決めた特定の食べ物を贈るのと、「家の冷蔵庫を開放するから、好きなものを食べていいよ」と選択肢を委ねるのとでは、どちらが本当の幸せに近いでしょうか。
前者には、贈る側の「これが正解だ」という価値観が含まれています。しかし、子どもたちの中にはそれが苦手な子もいるかもしれません。
一方で後者は、子どもたちが自らの意志で選び取る「自由」があります。幸せの形を限定せず、相手の選択を尊重すること。
贈り物を限定するのは、時に「こちらの価値観の押し付け」になり、本来の幸せとは違う形になってしまうのではないか……私はそう考えました。
幸せのあり方は、人それぞれであまり決めつけないほうが、心はもっと楽しくなるはずです。 そして、この考え方は「リハビリ生活」においてこそ、非常に重要になります。
ここで、リハビリ生活を送る当事者、Sさんから聞いた「ある実話」**を紹介します。
私と同じく脳卒中になり、家族の介護を必要としているSさん。 一般的には、患者側は「早く回復したい」と願い、介護側も「回復させるためのサポート」に心血を注ぐのが一般的です。
しかしSさんは、こう仰ったのです。 「もちろん回復はしていきたいけれど、家族との介護を通して肌が触れ合っている時間が、不謹慎だけど心地よいんです」
介護をきっかけにコミュニケーションが増え、未来についても深く話し合い、とても良い関係を築けているのだそうです。
このお話から、私は確信しました。 「必ずしも回復だけが最優先ではない」ということです。幸福感の感じ方もまた、人それぞれなのです。
回復してこそ幸せだ」と決めつけすぎて、あれこれ干渉しすぎてしまうのは、時に逆効果かもしれません。むしろ「今、やれる範囲でどんなことをしたいか」を重視した関係を持つことこそが、患者・介護者共に幸せな療養生活を送る秘訣ではないでしょうか。
また、「相手の幸せを祈ること」は、結果的に自分のメンタルヘルスを向上させるとも言います。
介護者は患者の幸せを祈り、患者は介護者の幸せを祈る。 この「相互に祈ること」を日課にすることをお勧めします。
なぜなら、祈りには「幸せの条件を限定しなくて済む」という良さがあるからです。 「早く回復してほしい」と強く限定してしまうと、すぐに改善が見られない場合、焦りや自己否定などのネガティブな気持ちの発生源になりかねません。
ですから、私は「包括的で抽象度の高い祈り」が良いと考えます。 「〇〇さんが、幸せだと感じる状態になりますように」
量子力学の世界では「エネルギーが現実を作る」という概念がありますが、その視点で見ても、こうした祈りは、患者・介護者それぞれにとっての「最善の幸せの形」を引き寄せるエネルギーになるはずです。
Sさんの意外な幸せの形から、私はこの「矛盾のない考え」に辿り着きました。 今、リハビリや介護で自分を追い詰めている誰かのヒントになれば幸いです。
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