亡くなった人の分まで幸せに生きる責任」——3.11を前に、震災遺児の言葉から考えた「生命の重さ」

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岩手県の話

東日本大震災から、また3.11という日が近づいてきました。

私の住む岩手県では、この時期になるとテレビで震災関連の特集が多く放送されます。記憶を風化させず、伝承していくための大切な時間です。

今朝、たまたま目にした特集が、私の心に深く、強く突き刺さりました。

それは、ある「震災遺児」の方の近況を紹介する内容でした。

皆さんは、「震災孤児」と「震災遺児」の違いをご存知でしょうか?

私も改めて調べてみて、その区別と現状の重みを知りました。

• 震災孤児(こじ)

震災によって両親(または一人親家庭の親)を亡くした18歳未満の子供たち。親戚に引き取られたり、里親や施設で生活するケースが多い。

• 震災遺児(いじ)

震災によって片親を亡くした18歳未満の子供たち。残された片親と生活しているものの、経済的に困窮し、学業の継続に支援が必要なケースが多い。

現在、こうした境遇にある方々はおよそ1,800人もいらっしゃるそうです。

今日テレビで紹介されていたのは、関東地方の専門学校で頑張っている震災遺児の方でした。

お父様を亡くし、頼れる人が限られる孤独な環境。しかし、避難先のバイト先の店長さんが、まるで「本当のお父さん」のように、彼女をきめ細やかにサポートしている姿が映し出されていました。

一生懸命に生きる彼女の姿と、それを見守る店長さんの温かさに、気づけば私は画面の前で号泣していました。

しかし、何より私の魂を揺さぶったのは、まだ若い彼女が口にしたこの言葉です。

「亡くなった人の分まで、今を幸せに生きる責任があると思っている」

この言葉を聞いた時、生命というものの尊さをひしひしと感じました。

生きたくても生きられなかった人がいる。それを知っている彼女だからこそ、今生きていることに「特別な価値」を見出しているのだと思います。

正直に言えば、私の周り(脳卒中の後遺症に悩む方々)の中には、たまにこう漏らす方もいます。

「こんな不自由な身体になってまで生きるなら、あの時そのまま死んでいたほうがマシだった」と。

その苦しみも、絶望も、私にはわかります。

けれど、この震災遺児の方の言葉を聞くと、やはり「生き延びたこと」には、何か大きな理由があると思えてならないのです。

生かされた私たちは、彼女が言うように「幸せに生きる責任」を背負っているのかもしれません。

皆さんの地域でこの放送が流れていたかわかりませんが、岩手の空の下で感じたこの感動と、生命の重さを、どうしても共有したくて筆を執りました。

今、生きていること。それは、それだけで特別なことなのです。

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