体は思うように動かなくなり、さまざまな障害が顔を出します。
その重篤な状況に、本人も、そして支えるご家族も、強く身構えてしまうのは当然のことだと思います。
病院の先生からは、これまでの膨大な症例をもとに「一人で歩くのは難しいかもしれません」「この麻痺は残るでしょう」と、予後(今後の見通し)を説明されます。
もちろん医学的な事実ではありますが、これがますます本人の中に**「私は重症である」という強力な思い込みを根付かせてしまっているのではないか? と、私はふと思ったのです。
何においても「決めつけ」は、可能性を狭める結果に繋がりやすいものです。
「私は動けないんだ」という思いが固定概念になってしまうと、脳の中で「動けなくなる自分」という構造がガッチリと出来上がってしまうのではないでしょうか。
つまり「思い方ひとつ」なのではないか。
ほとんどの人は、無意識のうちに「自分 < 病気」というパワーバランスで過ごしてしまっているのではないかと思うのです。
「病気を忘れている人」の方が回復している?
なぜそう思うのか。
意外と「病気であることを忘れている瞬間」がある人の方が、回復が早いことが多いと感じるからです。
例えば、私の近所には「膝や腰が痛くて動きにくい」といつも口にしているおばさんがいます。
ところが、大好きな愛犬の散歩に行ったり、お孫さんと遊んでいたりする時の彼女は、普段とは全くの別人になります。
愛犬や孫と遊ぶ時:元気に、軽やかに動いている
日常生活:痛そうに、重そうに動いている
側で見ていると、どっちが本物なのか分からなくなります。
結局、何かに夢中になっている時は、病気や痛みを「観測」することを忘れているのではないでしょうか
こうした例は、意外と多く耳にします。
我が家は飲食店を営んでいるため、いろいろな噂話が集まります。仕入れ業者の配達員さんが、面白い話をしてくれました。
しばらく姿を見ないと思っていた「鈴木さん(仮名)」という方がいました。
実はがん検診で重篤な病が発覚し、死を覚悟した鈴木さんは、家財道具をすべて処分。そのお金で、長年の夢だった「車での気ままな一人旅」に出たのだそうです。
数年後、定期検査に合わせて戻ってきた鈴木さんの結果を聞いて、みんな驚きました。
なんと、がんの重症度が劇的に下がっていたというのです。
配達員さんの話術による「着色」はあるかもしれませんが、これも「病気を忘れ、何かに夢中になっているうちに、体が本来の力を取り戻した」ひとつの例ではないかと思うのです
量子力学が裏付ける「観測者効果」
「そんなの、たまたまでしょ?」と思われるかもしれません。
ですが、この「思い方一つで現実が変わる」という話、実は現代物理学の「量子力学」の世界では真面目に研究されていることなのです。
専門的な話になりますが、「観測者効果」という言葉があります。
簡単に言うと、「観測者がどう見ようとしたかによって、観測対象に変化が起きてしまう」という現象です。
目に見えないミクロの世界(量子)は、見る側の意識の影響を受けて、その振る舞いを変えてしまうことが証明されています。
「ミクロの変化が積み重なって、マクロ(現実の肉体)の変化を作り出す」のは、自然界の法則です。
つまり、動かない手を見つめて「これは動かない」と観測し続けることは、ミクロの世界で「動かない現実」を固定し続けていることになります。
逆に、「これは実は動くものだ」という意識で観測すれば、ミクロの世界ではすでに変化が起き始めているのです。
「思い方一つで良くなるケースがある」というのは、決して不思議なスピリチュアルではなく、研究者たちが裏付けを見出している科学的な視点でもあるのです。
「病気を少し舐める」くらいが、ちょうどいい。
だから私は、こう提案したいのです。
脳卒中の麻痺についても「実は自分は軽症なんじゃないか?と、あえて病気を少し舐めてかかるくらいがちょうどいいのではないか、と。
「今は動かないけど、数年経つうちにちゃっかり動いたりして」
「これ、意外とちょろい病気なんじゃない?」
そんなライトな気構えです。
もし、担当の理学療法士さんに「私の麻痺、良くなりますかね?」と聞いてみてください。もしその先生が「絶対に良くなります!」と強く、確信的に答えてくれる人なら、その先生の「観測」によってあなたの回復も早まるかもしれません。
もちろん、医学を否定するわけではありません。
でも、眉間にシワを寄せて「重症だ」と怯えるより、「良くなったらラッキー!」くらいの軽いノリで過ごしてみる。
「思い直すのはタダ」ですから。
今日この記事に出会った方が、「自分は重症だと思い込みすぎていたのかも?」と、少しだけ肩の力を抜くきっかけになれば幸いです。

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