それが最後の言葉でも後悔しないか?」――兄弟喧嘩から学んだ、家族のズレを正す「究極の問い」

生き方の指針

最近、強く感じたことがあります。

それは、起きてしまった「事実」を認め、その先をどう進むか、ただ一点に集約されるのではないか、ということです。

きっかけは、我が家で繰り広げられた兄弟喧嘩でした。

どちらも「自分が正しい」と譲りません。まあ、それはそうですよね。それぞれの正義があるのですから。

しかし、親として、あるいは仲裁役としてどちらかに肩入れすれば、必ず「不公平感」が生まれます。

そこで私が編み出したのが、名付けて**「ファイナルジャッジ・チャンス」**です。

ヒートアップしている本人に、こう問いかけます。

「もし、その言葉が相手に掛ける『最後の言葉』だとしても、君は後悔しないかい?」

「もし、明日からその人に二度と会えなくなるとしたら、今の言葉のままでいいのかい?」

不思議なものです。

この問いを自分自身に投げてもらうと、あれほど尖っていた空気がふっと緩み、大抵の場合、自然と「ごめんなさい」が溢れてくるのです。

人間の奥底に眠る「良心」が、正義よりも大切なものを思い出させてくれるのかもしれません。

喧嘩の最中、「あいつが悪い」「あれがムカつく」と相手を責め続けても、事態は悪化する一方です。

土台が「怒り」のまま和解を目指しても、そこから生まれる答えは、どこか歪んだものになってしまいます。

大切なのは、「そもそも、なぜそれをしたかったのか?」という**意図(理由)**を聞く力です。

「それがしたかったのなら、別の伝え方もあるよね」と、表現の選択肢を増やしてあげれば、争う必要なんてなくなるのです。

これは子供同士の話ですが、実は大人にこそ必要なシステムではないでしょうか。

私自身、介護をしてくれる家族に対して、自分の意図が伝わらずに「余計なことするな!」と、つい強い言葉で怒られてしまうことがあります(笑)。

そんな時こそ、お互いに「なぜそうしようと思ったのか」を汲み取る力があれば、もっと優しくなれるはず。

よそのお宅では起きないような、低レベルな問題に見えるかもしれません。

けれど、この小さな「知恵」こそが、我が家の平和、そして私自身の回復を支える大きな土台になっているのです。

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