千葉県のJR久留里線の一部区間が廃止され、バスに転換されるというニュースを読みました。 私の住んでいる岩手県とは遠く離れた場所の話ですが、他人事とは思えず、今日は少し「独り言」を書いてみたいと思います。
■ 交通弱者にとって、路線廃止は「移動」だけの問題ではない 高齢者や、私のような交通弱者は公共の交通機関がメインの移動手段になりがちです。それがなくなるということは、単に不便になる以上の、もっと重い問題を孕んでいます。
もちろん、JR東日本が全体を見てコストカットを行い、採算の合わない路線を整理するのは合理的な判断です。事情は痛いほどわかります。でも、その沿線に住む、移動が不便な人たちの存在も忘れないでほしいなーと思いました。
■ 岩手でも起きている「静かな危機」 私の地元・岩手県でも、北上線、山田線、花輪線といった路線が利用者減少に苦しんでいます。かつて大船渡線や岩泉線が自然災害をきっかけに廃線となりましたが、もし我が地元でそれが起きたら……と考えると、ゾッとします。基本はタクシー移動になり、負担が大きすぎます。
■ 知人が語った、切実すぎる「生の声」 先日、廃線になった沿線に住む知人と話をしました。彼は、高齢のお母様のことを、現地訛りでこう心配していました。
「うちのばーさん、ずっと家にいてさ……このままじゃボケてしまわねーか、心配で心配で……」
鉄道という外の世界との繋がりが消え、外出が億劫になる。その結果、健康を損ねたり、急激に老け込んだりしてしまうのではないかという恐怖。彼は続けて、こうも言いました。
「あの歳で、まだ自分で車を運転してんのよ。いつ誰か怪我させっか、毎日ヒヤヒヤだ。老人が若い人を轢いてしまったなんてことになったら、日本の損害だべ……。そうなってほしくねーから、鉄道かバスを使ってほしいんだけどな」
この言葉に、私は全面的に同意しました。私の母も高齢ですから、その「ヒヤヒヤする気持ち」は本当によくわかります。
■ 「解決策」はわからないけれど 人、交通機関、手取り……何もかもが少なくなる今の日本。 正直、私にも明確な解決策はわかりません。
ただ、活字のニュースに並ぶ「赤字」や「廃止」という言葉の裏側に、こうした「おばあさんの溜息」や「家族の切実な不安」がある。その事情を想像し、考える意識を持つことは大事なのではないでしょうか。
国民一人ひとりの、根本的な発想の転換が必要な時期に来ているのかもしれません。


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