私の住む田舎町は、私と同じ「団塊ジュニア世代」が活気を作ってきた街です。 スーパーに行けば誰かしら知人に会い、地域の中心にはいつも同年代がいました。
しかし最近、街の景色が少しずつ変わり始めています。 長年続いてきた商店街の店も、高齢化や跡継ぎ不在で次々とシャッターを下ろしています。永遠に続くものはないと分かっていても、やはり寂しいものです。
先日、実家の飲食店に、店を畳んだばかりの元店主たちが集まっていました。 昼間からビールを飲み、昔話に花を咲かせる彼らの中から、ある一人の言葉が胸に突き刺さりました。
. 「社会に必要とされていない」という痛み
「店を畳んだら、なんだか社会に必要とされていない感じがしてさ。それが結構、つらいんだよなぁ。ガハハ!」
豪快に笑い飛ばしてはいましたが、その奥にある寂しさを私は見逃せませんでした。 その感覚は、病気によって中途障害者となり、社会活動からの「退場」を余儀なくされた今の私の境遇と、痛いほど重なったからです。
現役時代、仕事一筋だった人ほど、その喪失感は深いのでしょう。 そのおじさんは、店を閉めてから「次、どうするか」を一年間も考え抜いたそうです。 仕事に役立つかどうかだけで物事を判断してきたから、ただ「遊ぶ」ことや「自分の時間を楽しむ」ことが、最初は難しくて仕方なかったと言います。
2. 「役に立つか」を捨てて、「余白」を楽しむ
そんなおじさんも、今はボランティアやカルチャー教室に顔を出し、新しい場所で社会に溶け込もうと動いています。
彼の姿を見て、私は学びました。 リハビリ中の私たちは、どうしても「体を元に戻すこと」を最優先にしがちです。もちろんそれは大切ですが、それと同時に「人生を充実させるアクションプラン」も持っておくべきではないでしょうか。
これからは、一見「無駄」に見えることにも興味を持ち、好奇心のアンテナを広げておく。 「仕事」や「回復」という明確な目的以外の「余白」を自分の中に持っておく。 それが、社会の中心から少し外れた場所で、健やかに生きていくための「心の免疫力」になるのだと感じました。
3. 障害を、人生を充実させる「転機」にする
私はすでに障害を負い、以前のような社会活動からは一歩引いた場所にいます。 しかし、平均余命を考えれば、人生はまだまだ続きます。子供たちの成長も見守りたい。ここで終わってはいられません。
むしろ、この不自由になった今の状況を、人生をより深く、豊かにするための「転機」にしたい。 おじさんたちが教えてくれた「余白」を大切にしながら、これまで見過ごしてきた世界の美しさを拾い集めていこうと思います。
社会という舞台の「主役」ではなくなっても、私の人生という物語は、これからが一番面白いところなのかもしれません。


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