ふと目にした、YouTubeの対談動画が心に深く刺さりました。 高須クリニックの高須院長と古舘伊知郎さん、そして名だたる経営者たちが語り合っていたテーマ。
▼参考にした動画: 【古舘伊知郎×高須克弥】死を覚悟した時、人は何を想うのか?】
それは、**「もし自分が余命宣告をされたら、どう過ごすか?」**という問いでした。
AIでアバターを残したいという方、恩送りをしたいという方。様々な哲学が飛び交う中で、最後は「どう死ぬか=どう生きるか」という本質的な問いへと辿り着いていました。
それを聞きながら、私は自分なりに一つの答えに辿り着きました。
生命とは「時間」である
自分の「生命」とは何だろうかと考えたとき、それは結局のところ、自分に与えられた**「時間」**そのものではないかと思ったのです。
だとしたら、時間を大切に扱うことこそが、自分の生命を大切に扱うことになる。 では、「時間を大切にする」とはどういうことか?
それは、**「今のこの瞬間を、五感で味わうこと」**なのだと気づきました。
遠回りに見える「土台」の大切さ
現代は、ガチガチな正解やすぐに効果が出るものばかりに意識が行きがちです。 しかし、一見無駄そうに見えることにも、実はちゃんとした理由があるのかもしれません。
私はリハビリを通して、そのことを痛感しました。 「ちゃんと歩く」ためには、まず「しっかりと座る」こと、そして「しっかりと立つ」こと。 この過程を、一段飛ばしもせずに丁寧に踏む必要がありました。
歩きたい一心で焦っても、土台ができていなければ足は出ません。 遠回りに見えますが、しっかりやる必要のあることは、やはりあるのです。
効率よりも「香り」を味わう手間暇
「丁寧に生きている人」を想像すると、私の中には一つのイメージが浮かびます。 それは、自分でコーヒー豆を挽き、ゆっくりとコーヒーを淹れている人の姿です。
豆を挽く音、立ち上がる香り、そして一口の味わい。 これは、コンビニでカップを買うことに比べれば、ひどく「非効率」で手間のかかる作業です。
しかし、リハビリで学んだ「座り、立つ」という土台作りと同じように、この非効率な時間の中にこそ、人生を充実させるヒントがある気がしてなりません。 瞬間瞬間を五感で味わい、手間暇をかけて「今」に没入する。その積み重ねが、日々の「納得感」に繋がっていくのではないでしょうか。
ラストに焦らない生き方を
私は一度、病気で死にかけています。 だからこそ、この「納得感」という言葉が、理屈ではなくすとんと腑に落ちました。
日々を丁寧に、瞬間を味わいながら、納得感を持って生きる。 もしそのような信念で毎日を過ごしていれば、たとえ人生の最後に余命宣告をされたとしても、慌てて生き方を変える必要はないはずです。
「ああ、今日もいいコーヒーを淹れたな」 そんな風に、いつものスタンスのまま、穏やかに最期を迎えられるのが理想です。
効率ばかりが求められる世の中ですが、私はこれからも、この「不効率で豊かな時間」を大切に、岩手の片隅で生きていこうと思います。


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