岩手の山を歩くと、近所に「山菜採りの名人」と呼ばれるおばちゃんがいます。 彼女が山に入ると、魔法のように山菜を見つけ出します。「あそこにある」「ここにもある」と指差す先を私が見ても、そこにあるのはただの雑木林。名もなき草が生い茂る緑の塊にしか見えません。
しかし、教えてもらいながら「最初の一つ」を見つけると、不思議なことが起こります。 それまで景色に完全に溶け込んでいたはずの山菜が、急に「あ、ここにも!」「あそこにも!」と、浮き上がって見え始めるのです。
どうやら、人間の目(あるいは脳)には、**「一度ピントが合うと、同じものを次々と見つけ出す」**という特性があるようです。
1. 四季報の文字が「お宝」に変わる瞬間
先日、メルカリの臨時収入をどこに投資しようかと、分厚い「四季報」を眺めていました。 私のようなライトな投資家にとっては、細かな数字と漢字が並ぶだけの、難解な攻略本のような一冊です。
けれど、プロの投資家はこの中から「お宝企業」をすぐに見つけ出します。 その様子を想像したとき、ふとおばちゃんの顔が浮かびました。 「そうか、これも山菜と同じなんだな」と。
見つけ慣れていくこと。 どこに注目すべきか目が慣れてくれば、あの無機質な数字の羅列が、輝くチャンスに見えてくる。何事も「見つけ慣れること」が、自分だけの宝物に辿り着く近道なのだと気づかされました。
2. どこに「ピント」を合わせて生きるか
これは投資に限らず、普段の生活にも応用できることだと思います。 いつも楽しそうに過ごしている人は、きっと「楽しさ」を見つけるのが上手い。というより、「楽しさ」に目が慣れているのでしょう。
今の私は、半身に麻痺があり、以前のように動けないもどかしさの中にいます。 油断すると、ついつい「失ったもの」「できなくなったこと」にばかり目が慣れてしまい、ポジティブなことが見つけにくくなっているのかもしれません。
でも、そこでもし一つだけ、**「この体でもできること」「今の自分だから感じられる幸せ」**という山菜を見つけることができたら。
一つ見つけて、そこに目が慣れれば、あれもこれもとポジティブな要素が見えてくるはずです。「この体でも、こんな楽しみ方があったのか」という発見が、次々と連鎖していく。山菜と同じで、最初の一つを見つけるのがコツなのだと思います。
結び:焦点が、世界を作る。
人間は、自分が焦点を合わせたものがよく見えてくるようにできている。 だとしたら、どこに焦点を合わせて生きるかが、何より大事なのだと私は勝手に考察しています。
不自由な山の中でも、美味しい山菜は必ずどこかに隠れています。 今日は、何にピントを合わせてみましょうか。
私のこの独り言が、誰かの視界をほんの少し変える、最初の一つになれば幸いです。

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